「あなたが与えなさい」 03−06−29
ルカ9:10〜17
主に従う者を、主は、神の恵みを表す尊い存在としてお用い
くださいます。私たちは自分の小ささに心を奪われなくてもよいの
です。主に用いていただくことを期待しながら毎日を過ごすのです。
その時、主イエスの周りには、男の人だけで五千人という群衆が
集まっていました。夕方になり、そろそろ解散することを提案した
弟子たちに、主は「食べ物を与えなさい。あなた方が与えなさい」と
おっしゃいました。
弟子たちは、戸惑いました。戸惑うのが当然のことでした。
自分たちには、パン五つと二匹の魚しかないのです。町まで買いに
行くにしても距離があります。金額もばかになりません。「そんなこと
無理です。私たちには与えられません。」それが弟子たちでした。
主は、弟子たちが持っていたパンと魚をとって、それをさき、再び
弟子たちに渡し始められました。そして、群集に配るようにお命じに
なりました。弟子たちは、戸惑い、無理だと思いながらも、主に従って
配り始めたのです。ところが、配っても配ってもパンはなくなりません
でした。その時弟子たちの心は震えたに違いありません。わずかだ、
無理だ、役に立たないと思っていた。ところが、主に押し出されて
行う時に、主は、小さなものしか持っていない自分を大きな出来事の
ためにお用いくださる、と身を持って味わったのです。
弟子たちは、この時の出来事を、興奮しながら語り伝えたに違い
ありません。この出来事は、群集のための出来事というよりも弟子たち
のための出来事です。
教会がこの出来事を愛してきたのは、五千人もの人を満たす
主の恵みの力を知らされるから、というだけではないのです。
小さく、取るに足りないものを大きな事柄のためにお用いくださる
主を知らされるからです。その主を知るゆえに、無理だ、ダメだと
言いながら縮こまって生きることをやめるのです。
主に用いられる尊く、意味ある存在だと知らされて歩むのです。